セミは、夏という季節の最も体表的な昆虫と言えます。
まさに夏の風物詩の一つとして、古来より多くの俳句に登場してきました。
多くは夏の季語として使われてきましたが、中には秋の季語として使われている俳句も存在しています。
蝉のことを詠んだ俳句
閑さや岩にしみ入る蝉の声
という、芭蕉の有名な俳句があります。
これはもちろん夏の句です。
松尾芭蕉が奥の細道の中で、出羽国の立石寺に参詣した時に詠んだ句で、芭蕉の中でもかなり有名な俳句の一つでしょう。
実際に奥の細道の日付をたどっていくと、芭蕉が7月ごろに詠んだ句だということが分かっています。
やはり蝉は夏というイメージが定着していますね。
俳句を鑑賞する側としても、夏の暑い盛りに蝉が鳴いている情景を頭の中に思い描きながら俳句を味わうのではないでしょうか?
余談になりますが、実はこの句に登場する蝉の種類について、明治の頃に文壇でちょっとした論争になりました。
アブラゼミか、ニイニイゼミかということで歌人の間で対立があったようですが、様々な研究の結果、結局はニイニイゼミだったということで結論付けられています。
秋の蝉は秋の季語
ところが、蝉は秋の季語として使われることがあります。
正確には、蝉ではなく、秋の蝉というのが季語となります。
夏が終わっても、鳴き続ける蝉は確かにいます。
特に昔の暦では、夏の終わりも秋の始まりも少し早目になりますから、秋の蝉と言っても何らおかしくはありません。
ただ、夏真っ盛りの時期の蝉と比べて、秋の蝉は若干元気がなく、鳴き声が小さくなってしまうのは致し方ありません。
夏が過ぎて、秋が深まるにつれて、だんだん弱々しくなっていく蝉の鳴き声に、俳人がわびさびを感じて俳句を読むのは、なんとも風流の国である日本らしいではありませんか。
夏の虫である蝉を、敢えて秋の蝉として俳句に詠むことで、一層味わいが増すわけです。
実際に、秋の蝉の俳句を読んだ俳人は、たくさんいます。
例えば、小林一茶は
仰のけに落ちて鳴きけり秋のせみ
という句を読んでいます。
秋の蝉の俳句は、いずれも何となく物悲しい雰囲気が漂う俳句が多いようです。
まとめ
蝉は夏の虫で、俳句では夏の季語として使われますが、秋の蝉という秋の季語としても使われます。
季節を過ぎた蝉を秋の季語として使うことで、味わい深い寂寥感のある俳句を作ることができるのです。